こぎん刺しの歴史
- 1736〜1792年   ・・・   肌着、被り物、帯など、衣類の一部に木綿が認められた
ものの、依然として麻が強制されていた。
- 1785年・・・   三河び管江真澄(1754〜1829)が、津軽の女たちが
「綾をみつけた」さしこぎのを着ているのをみた、と
旅日記に書き記す。
- 1788年              ・・・   津軽藩士、比良野貞彦が『王民図彙(おうみんずい)』に
「サシコギヌ」として三種類の模様と、刺しこぎんを
着た農婦を書く。
古川古松幹が『東遊雑記』に刺しこぎんの美しい模様に
ひかれたことを書き記す。
- 1789年・・・   木綿がある程度許されるが、身分によって着用が決め
られた。
- 庄屋以下・・・・・・厚狭の上小布
- 仮      子・・・・・・「刺綴」「刺小布」の短物着用
- 1791年・・・  藩で購入した原材料を下級藩士に貸し渡す。藩士の婦女が
手織木綿を制作する。これが弘前こぎんの始まりといわれる。
- 1847年・・・  『春興刷(しんきょうずり)』によるとこぎん刺しの原材料の
原型が完成されている。
- 1855年・・・  仕事着だけではなく、晴れ着にも用いられるようになり
嫁入り道具の一つとして作られた。
- 明治初め             ・・・  農民の木綿使用が解禁となる
- 明治24〜27年     ・・・  鉄道の発達(24年、青森ー尾上間、27年、弘前ー青森間)の
開通に伴い、木綿の布が手に入るようになった。
- 大正末〜昭和初め ・・・  木綿のカスリや手織りを着るようになり、刺しこぎんが廃れる。
- 1912年・・・  民芸の創始者、柳宗悦が民芸協会発行の『工芸14号』に
「地方工芸の最たるもの」と絶賛した。
- 1955年・・・  木村産業研究所の横島直道が、女性の力をかりて、材料や
模様を集めたり、資料つくりをして、産業化に結び付ける
努力をした。